大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

甲府地方裁判所 昭和26年(ワ)170号 判決

原告 山本きみよ

被告(選定当事者) 小林まつ子

一、主  文

被告(選定当事者)は原告に対し別紙物件目録<省略>(甲)記載の不動産につき所有権移転登記手続をなすべし。

被告小林まつ子は原告に対し金六万八千六十六円六十六銭及びこれに対する昭和二十六年八月三日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。

選定者小林幸、同小林孝子、同小林美恵子はいずれも原告に対し金四万五千三百七十七円七十八銭及びこれに対する右同日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払うべし。

訴訟費用は被告(選定当事者)の負担とする。

二、事  実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決並びにその金銭の支払を求める部分につき担保を条件とする仮執行の宣言を求めその請求の原因として――、原告は昭和十九年十月十六日亡小林美孟に対し金一万四千円を返済期昭和二十年十月十六日、利息年五分の約で貸付け美孟はこれと同時に期限に元利金の支払をしないときはこれに代え別紙物件目録(甲)及び(乙)記載の不動産の所有権を原告に移転すべき旨の代物弁済契約の予約をなし右不動産につき原告のため昭和十九年十月十九日甲府区裁判所受付第二九五五号を以て右予約に基く所有権移転請求権保全の仮登記を経由した。もつとも昭和二十年七月七日甲府市の戦災により右裁判所備付の登記簿は焼失し同年司法省告示第五十二号により回復登記申請期間が昭和二十一年九月十日までと定められたが原告は世事に疎く前記仮登記につき回復登記手続に及ばなかつたので登記簿上の順位を失つた。しかして美孟は返済期に前記元利金の支払をなさず昭和二十五年一月十一日死亡したので同人の妻たる被告小林まつ子及び嫡出子たる選定者小林幸、同小林孝子、同小林美恵子はその遺産を相続しこれに属する一切の権利義務を承継し前記代物弁済の予約に基く債務を共同して負担するに至つた。ところが右被告及び選定者等は同年三月十五日立川昭雄に対し前記不動産の内前記目録(乙)記載の不動産を金二十万四千二百円で売渡し同年四月二十八日その旨の所有権移転登記手続を了した。これがため右代物弁済の予約に基く債務は右不動産に関する限り履行不能となり原告は右不動産の時価相当額たる金二十万四千二百円の損害を蒙つた。そこで原告は被告(選定当事者)に対し前記目録(甲)記載の不動産につき代物弁済の予約を完結のうえこれに基き所有権移転登記手続を求めるとともに被告小林まつ子に対し右損害の内その相続分に相当する金六万八千六十六円六十六銭に、選定者小林幸、同小林孝子、同小林美恵子に対し右損害の内各自の相続分に相当する金四万五千三百七十七円七十八銭にいずれも訴状送達の日の翌日たる昭和二十六年八月三日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を加算して支払を求めるものである。――と述べ被告(選定当事者)の抗弁に対し――、被告(選定当事者)の主張事実はすべて争う。特に事情変更の原則の適用について謂うならば本件代物弁済の目的物の時価に騰貴があつたことだけを捉えて右弁済契約に基く請求が条理に悖る結果を生じるとなすのは当らない。なぜならば物価の高騰を考慮に入れる以上本件貸付金額についてもこれを現在の価値に引直さなければかえつて片手落の不合理を侵すものであるからである。――と述べた。<立証省略>

被告(選定当事者)訴訟代理人は請求棄却の判決を求め答弁として――、原告主張事実中原告と亡小林美孟との間に原告主張のような金銭の消費貸借が結ばれたこと、原告が別紙物件目録(甲)及び(乙)記載の不動産につき原告主張のような仮登記を有したところ原告主張のような原因で登記簿が焼失した後回復登記申請期間の徒過によりその順位を失つたこと、美孟が原告主張日時死亡しその妻たる被告小林まつ子及び嫡出子たる選定者小林幸、同小林孝子、同小林美恵子がその遺産を相続しこれに属する一切の権利義務を承継したこと右被告及び選定者等が原告主張日時立川昭雄に対し前記目録(乙)記載の不動産を譲渡しその所有権移転登記手続を了したことは認めるがその余の事実はすべて否認する。――と述べ抗弁として――、仮に原告と小林美孟との間に原告主張のような代物弁済契約の予約が成立したとしても美孟は原告主張の前記借受金の返済をなしたから右予約に基く債務はこれによつて消滅した。仮にそうでないとしても終戦後における物価の高騰、貸幣価値の低落には著しいものがあり本件不動産の時価についてみても原告主張を容れゝば終戦前たる右予約当時金一万四千円相当であつたのが現在においては金二十数万円に騰貴している。しかしてこのような経済事情の変動は右予約成立当時原告及び美孟において全く予見し得ないところであつた。一方被告及び選定者等は相続により右予約に基く債務を承継したもののそのことを知らなかつたため立川昭雄に対する借受金債務の代物弁済として本件不動産を譲渡するに至つたものである。従つてこのような事情のもとに被告及び選定者等が債務不履行を理由にこれが填補賠償として右不動産の現在における時価を以て評価した損害の支払を命ぜられることになれば甚しく条理に反するものと謂わなければならない。そこで被告(選定当事者)は本件において原告に対し所謂事情変更の原則に基き前記代物弁済の予約を解除する旨の意思表示をなすものである。仮に右抗弁に理由がないとしても原告としては前記貸金債権がなお残存する以上その取立をなせば足るのにことさらに前記代物弁済の予約を楯にその履行もしくはこれに代るべき損害賠償を請求するのは信義則に反し正に権利の濫用に当ると謂う外はない。さればいずれにしても原告の本訴請求は失当である。――と述べた。<立証省略>

三、理  由

原告が昭和十九年十月十六日亡小林美孟に対し金一万四千円を返済期昭和二十年十月十六日、利息年五分の約で貸付けたことは当事者間に争がなく印影の成立に争がないから真正に成立したものと推認すべき甲第二号証、証人山田道明、同山本文武の各証言を綜合すれば右美孟はこれと同時に期限に元利金の返済をしないときはこれに代え別紙物件目録(甲)及び(乙)記載の不動産の所有権を原告に移転すべき旨の代物弁済契約の予約をなしたことを認めることができる。被告(選定当事者)は右甲第二号証が原告の偽造にかゝるものである旨抗争するけれどもこれについてなんら立証するところがないから右抗弁は採用するに由がないのである。なお右甲第二号証の記載自体をみれば期限に右元利金の弁済をしないときは右不動産の所有権が当然原告に移転する旨の停止条件附代物弁済契約をなしたもののように窺われるが印影の成立に争がないから真正に成立したものと推認すべき甲第一号証を併せてみるとこれと同時に右不動産につき抵当権が設定されたことを認めることができるところこのように貸金債務を負担するに際し抵当権設定契約と同時に停止条件附代物弁済契約がなされた場合は特段の事情がない限りそれは代物弁済契約の予約がなされたものと解するのが相当である。なぜならばそう解しなければ期限に債務の弁済がないときは代物弁済契約は停止条件の成就によりその効力を生じ抵当不動産の所有権は当然債権者に帰属し抵当権実行の余地がないこととなり少くとも契約当事者間においては抵当権設定契約が無意義に終るからである。

しかして被告(選定当事者)は美孟が前記貸金債務の弁済をなした旨抗争するけれどもこれについてもなんらの立証がないから右抗弁は採用すべき限りでない。しかるところ美孟が昭和二十五年一月十一日死亡しその妻たる被告小林まつ子及び嫡出子たる選定者小林幸、同小林孝子、同小林美恵子がその遺産を相続しこれに属する一切の権利義務を承継したことは当事者間に争がない。従つて被告及び選定者等は相続により前記代物弁済の予約に基く債務を共同して負担するに至つたものと謂わざるを得ない。

しかるに被告及び選定者等が昭和二十五年三月十五日立川昭雄に対し前記目録(乙)記載の不動産を譲渡し同年四月二十八日その所有権移転登記手続を完了したことは当事者間に争がないから前記代物弁済の予約に基く債務は右不動産に関する限り債務者たる被告及び選定者等の責に帰すべき事由により履行不能となり原告はこれがため右不動産の時価に相当する損害を蒙つたものと謂うべきである。もつとも原告が右不動産につき昭和十九年十月十九日甲府区裁判所受付第二九五五号を以てなした右代物弁済の予約に基く所有権移転請求権保全の仮登記を有したところ昭和二十年七月七日同裁判所備付の登記簿が戦災により焼失し同年司法省告示第五十二号により回復登記申請期間を昭和二十一年九月十日までと定められたが右期間を徒過したため右登記簿上の順位を失つたことは当事者間に争がない。従つて原告が右回復登記を怠らなかつたとすれば前記所有権移転請求権につき登記簿上の順位喪失のこともなかつたから被告及び選定者等の前記不動産譲渡に拘らず前記代物弁済の予約に基く債務の履行不能が生じることはなかつた筈である。しかしながら原告が登記簿上の順位を失つたと謂つても右は第三者に対する優先的地位を失つたに止まり債務者に対する法律上の地位については毫も消長はないのであるからその後において債務者が自らの意思決定によつて債務の履行不能の事態を生ぜしめたものである以上特段の事情がない限りこれにつき原告の過失が競合したものと認めるのは相当でないと謂わなければならない。しかして成立に争のない甲第四乃至第八号証によれば右不動産の当時における時価は金二十万四千二百円に相当することを窺知するに足りるから被告及び選定者等は原告に対し右金二十万四千二百円の損害を各自の相続分に応じて賠償すべき義務があるものと謂うべきである。

次に原告が本訴(昭和二十六年九月八日午前十時の本件準備手続期日)において前記目録(甲)記載の不動産につき前記代物弁済の予約を完結する旨の意思表示をなしたことは記録上明らかであるからこれにより右不動産の所有権は原告に帰属するとともに被告(選定当事者)は原告に対し右不動産につき所有権移転登記手続をなすべき義務を負担するに至つたものと謂うべきである。

ところが被告(選定当事者)が本訴(昭和二十七年四月十六日午前十時の本件口頭弁論期日)において事情変更の原則を適用すべき場合であるとして前記代物弁済の予約を解除する旨の意思表示をなしたことは記録上明らかであるから契約解除の成否につき按じるのにおよそ事情変更の原則の適用により契約解除権が発生するには契約当事者の予見し得ない事情の変更があつたため該契約の履行を求めることが著しく信義に反し衡平の観念に背く結果となり契約における当事者の意思を合理的に解釈する限りこれに合致しない場合でなければならない。これを本件についてみると前記代物弁済の予約は債権者たる原告に対し前記貸金債権の返済期たる昭和二十年十月十六日の経過後においては何時でも一方的に右予約を完結し代物弁済として本件不動産の所有権を取得する権能を与えたものであると解すべきこと勿論であるところその契約時たる昭和十九年十月十六日から降つてその効力発生の始期たるべき右返済期に至れば敗戦による社会情勢の急激な変化が介在することは顕著な事実であるけれどもその間に物価乃至貨幣価値の面にまで著しい変動が現われたことは確証がないからいまだ契約当事者の予見し得ない事情の変更があつたものとは謂い難い。さらば更に降つて原告が現実に右予約に基く権利を行使すべく本訴を提起した昭和二十六年八月に及べばその間にはインフレーシヨンの激化による物価の騰貴、貨幣価値の低落に著しいものがあつたことは顕著な事実であつてこのような経済事情の変更は終戦前たる契約時においては当事者の予見し得ないものであつたことはよういに推察することができるのであるが債務者たる被告及び選定者等の前主小林美孟は右予約締結と同時に本件不動産の対価に相当する貸金の給付を受けたうえ返済期にその弁済を怠つて原告をして右予約の完結権を取得させたものである以上債務者としては原告が何時右完結権を行使して右不動産の所有権を取得してもやむを得ない立場におかれたものと謂う外はなくその後に生じた経済事情の変更の故を以て債務者にこれを拒否する権能を与えることはかえつて衡平の観念と相容れないから是認し得るところではない。もつとも本件においては右不動産の一部につき債務者の責に帰すべき事由により履行不能を生じ右予約完結権は金銭による填補賠償請求権に変じているところ右賠償の額が前記貸金額を遙かに超過するものたることは前説示により明らかであるから右予約の効力を維持して債務者に右賠償を命じることは一見いかにも不条理を強いるもののように考えられないではないけれども債務者においてこれを自ら招いた結果として甘受すべきは信義則上当然のことと謂わなければならない。しかしてこの場合債務者たる被告及び選定者等は相続により右予約に基く債務を負担したがこれを知らなかつたため履行不能を生じさせたものである旨主張するが仮にそうだとしてもこれが特に債務者の責に帰すべき事由に基かないものであることについてなんら主張立証があるわけではないから右の結論には変りがないのである。されば貸金額と損害賠償額との比較を前提として事情変更の原則が適用あつてしかるべしと立論するのはこの場合当を得たものと謂い難い。その他に本件代物弁済契約の予約につき契約解除権の発生を是認せしむべき事情の変更があつたことの主張立証はないから前記契約解除の意思表示はなんら効力を生じないと謂わざる得ない。

そこで最後に被告(選定当事者)の権利濫用の主張につき按じるのに前記代物弁済の予約が前記経済事情の変動にも拘らず信義衡平の見地においてなおその効力を維持すべきものたることは前段説示のとおりであるからこれに基く請求が正当な権利行使たることは更に多言を要しない。なお被告(選定当事者)は前記貸金債権が残存するのに原告が選んで以て右予約に基く請求をなすことが信義則に反する旨主張するけれども原告に右予約完結権を与えた趣旨はもし期限に貸金債務の弁済がないときは金銭債権を行使するか又は代物弁済契約の予約を完結させるかを債権者たる原告の選択に委したものと解すべきこと勿論であるところ債権者が債務者の責に帰すべき事由によつて不能となつた給付を選択して履行不能による損害賠償を請求し得ることは選択債権の特定に関する民法第四百十条第二項の規定の趣旨に徴して明らかであるから原告が一部履行不能となつた右予約に基く債権を選択し貸金額を超過する損害賠償を請求したからと謂つてそれだけの理由で信義則に反するものとは謂い得ないのであつてこの点に関する被告の右主張も全く理由がない。

果してそうだとすれば被告(選定当事者)に対し前記目録(甲)記載の不動産につき所有権移転登記手続を求めるとともに被告小林まつ子に対し前記損害の内その相続分に相当すること計算上明らかな金六万八千六十六円六十六銭に又選定者小林幸、同小林孝子、同小林美恵子に対し右損害の内各自の損害分に相当とすること計算上明らかな金四万五千三百七十七円七十八銭にいずれも訴状送達の日の翌日たること記録上明らかな昭和二十六年八月三日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の本訴請求はすべて理由があるものとしてこれを認容すべきである。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用し主文のとおり判決する。なお右金銭の支払を求める部分については仮執行の宣言を求める旨の申立があるが本件の場合においてはこれを付さないのが相当であると認めるから右申立を容れないこととした。

(裁判官 駒田駿太郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!